Update
(2004/09/15)
2004年9月5日(日曜日)朝日新聞兵庫阪神版に「兵庫の尼崎なぜ06?」という記事が掲載されていました。尼崎地域・産業活性化機構の国田幸雄さんが、尼崎市内の公民館で行われた「近代史講座」を取材した記事です。
それによると、尼崎市の市外局番が「06」になったのは、50年前の1954(昭和29)年で、戦前から経済的な結びつきが強い大阪市と同じ市外局番にしてほしいと、経済団体や市が日本電信電話公社に働きかけて実現したということです。
工事費の一部として、当時の尼崎市予算の10分の1近い2億2600万円を尼崎側が負担するという条件だったそうです。
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(2003/02/20)
市外局番一覧で見ると、山間部や離島など地勢の関係で、自治体の一部が隣県の市外局番に編入されているケースがあります。しかし、尼崎市のように50万人に近い大都市のほぼ全域が独自の市外局番を持たずに、大阪市(06)に含まれているというのは、全国で唯一の例外です。
何故そうなったのでしょうか。
これには、現在の「ユニチカ株式会社」が大きく関わっています。ユニチカは、明治22年に尼崎紡績株式会社として設立され、その後大日本紡績、ニチボー、そして現在のユニチカへと社名を変えています。
尼崎紡績株式会社では、設立後、急速な事業の拡大発展に伴い、尼崎にある工場と大阪市内の営業所を結ぶ直通電話が必要になりました。しかし、電話局に開設を依頼しても埒があきません。そこで、明治29年、尼崎〜大阪間13キロメートルに自社で電話線を架設して、これを大阪の電話局に寄贈してしまいました。これが、尼崎が大阪局番(06)に編入されるようになった由来です
(だそうです。又聞きです)。